日々日常

この写真で私は、Tumblrのimiging teamにより本日のDaily original photographs and creationsに選出された。
大変名誉なことだ。有難い有難い。

https://imiging.tumblr.com/

日々日常

娘は二十歳という事で今日は何でも好きな料理を作るが何が良いかという問いに対してオムレツと答えたが母親の作るそれの出来に満足ができず自分の分は自分で作った。しかし私に言わせればその出来具合はどっちもどっちといった所。

二十歳と言えば飲酒でしょうと、ワインを開けながら思ったのはなぜこれが今日という日を限って非合法が合法になるのかという疑問で、もしこれが昨日だったら下手をすると大学を停学になりかねないのがしかし今日からは飲んでもいいというのは何故かという不思議。

そんなのはどうせ偉い人の都合でしょうとしか思えない私は時々中身は娘より子供なのではないかと思ったりもする。

ウチでは結婚式は2月11日に挙げた。建国記念日は年が変わっても休日で、今後もお祝いするのに都合が良いと思ったからだ。でも写真屋になってしまうと休みの日にはかえって仕事が入る。

この時期はいつもお世話になっている所からの仕事が千葉、埼玉方面で入る事が多くて、なのでここ数年は帰り道によることが出来る道の駅川口・あんぎょうで花束を作ってもらっていた。(そこは植物を売っているのが売りの道の駅で、 草木の苗の品揃えはちょっとしたものだ。巨大な温室の中では観葉植物も売っている。花屋も有る)
でも今年はそこは営業時間中に間に合いそうになかったので、GoogleMapで道の途中にある花屋を検索して寄った。

良い悪いは別として、いつもの花屋よりややフェミニンな印象を受ける。
花束って店や作る人の個性が出るのだなと思った。

ふと考えた事

今一部ネット上で、富士フィルムの新型カメラX100Vのプロモーションビデオが非難されている。それはストリートスナップのPVで、それを切っ掛けとして街で人を撮る事の是非が問われている。
これは、写真を撮る方の身としては気になる話題だ。

色々挙げられた意見の中に「公共の場所に出て来ている以上、人目にされされる事は承知のはずだ。目で見られる事と写真を撮られる事の間に何の差があるのか。見て良いのなら撮っても良いはずだ」という意見があった。

私もこの場合では基本、見ることと撮る事にあんまり差は無いと思う。そこはいい。しかし思うのは、公共の場ってあんまり人の事を見つめる場所ではないのではないか? という事。公共の場にいる人がそれだけで衆目に晒される事に同意しているとは思えないし、自分の場合は実際自分の姿をあんまり人に見られたくない。

何で人に見られたくないかと言えば、何となく後ろめたいと言うか、生きているだけで人から非難されるような感じがするからで、見られると調べられている、撮られると証拠を取られている、会話すると言質を取られている、という感じがしてしまうから。(別に悪い事している訳じゃないのだけど)

アップロードした写真は記事とは全く関係なく、久しぶりに電車に乗ったら窓の風景が良かった、という写真。