一年365.2425日

最近、ウチの近所にドラッグストアが出来たのだけど、そこは売っている物の値段が常時それぞれちょっとづつ安くて、どうもその値付けが売りのお店らしい。
今の時代、特売の広告を打って集客をするより、店に他店より何を買っても安いという印象を持たれる方が効率的なのかもしれない。
それに、広告を打つとその地域の店全店がその商品の安売りをしなければいけなくなるが、広告を出さなければ店舗ごとに細かく値付けをする戦略も取れそうだ。

という事で何かと話題に上るお店なのだけど一つ気になることがあって、それはそこのキャッチコピーが365日安いという所。365日とは多分一年の事だ。とすると(ほぼ)4年に1度の閏年はどうなるのだろう?

とは言え、365は広く人口に膾炙する数字であり、それだけキャッチーでもある。私はある歌手が真ん中にステージの有るライブ会場でグルっと365度と言ったという話が愛おしいまでに忘れられない。

自分が愛したものは死ぬの法則

写真は好きかと問われれば、見るのも撮るのも好きだと答えられる。でも、好きなものをを好きなように撮っているかと問われれば、それはそうでもなくて、と言うと誤解を与えそうなのであえて書くがそれは嫌いではないが、でも自分が好きなようには撮っていないのは事実だ。

特に休みの日に自分の趣味で撮っている写真について述べると、これはもう完全に受け狙いだ。自分の好きは固く封印しているのである。なぜかと言えば、自分が好きなように撮るより受けを狙って撮る写真のほうが実際受けるし、それに自分で見てもいい写真だから。

大体、今までの人生の傾向からして、自分がものすごく好きで好きで愛しているものを他の人は概ね評価しない。
例えば好きで通っていたレストランは潰れる傾向にあった。例を挙げると淵野辺のうどん屋「カラス屋」淵野辺のベトナム料理店「バゴ」南橋本のカレー屋「アフロザ」等など、どれも忘れがたい美味しさで、一人であるいは家族や友人を誘って通ったのだが長続きはしなかった。

昔見たTVドラマで、主人公が愛した女性は死ぬという設定のものがあった。作中、登場人物といい感じになると、案の定死んでしまうのである。お前は死神か?という感じもするが、自分にも若干その気が有る事は自覚している。(因みにそのドラマ、最後にはその主人公も死んでしまい次の回からは登場人物が総入れ替えになるという展開にも驚いたものだ)