ふと考えた事

ふと考えた事

図書館で借りて来た本「翻訳できない 世界の言葉」は面白い本だった。 ある言語において一言で言い表されているある種の事象や概念をイラストと共に紹介する本だ。 世界の言葉が色々紹介されていて面白い。日本語からも何語か紹介されている。

その中で「木々の葉のすきまから射す日の光」と言う状況を一言で表す語が紹介されていたのだけど、そこのページのイラストでは光の形が六角形に描かれていた。この六角形ってカメラのレンズに付いている絞りの形だよなぁ、多分。

ふと考えた事

 ビデオの編集をしていてたまに困るのが、音と映像が半フレームズレる事。
ウチでは音声と映像は別に撮っているのだけど、あとで合わせる時、時たまそうなる。

音と映像がぴったり1フレームズレている時はそのままピコっと直せばいいだけなので問題は無いのだけど、半フレームズレている時にはソフトウェアの都合上そうはいかなくて、半フレーム映像が先行するか、それとも音が映像より先に鳴るか、どちらかしか選べない

因みに1フレームがどのくらいの長さかと言うと、(今使っている規格では)約1/30秒だ。一見すると短い時間に感じるけれど、実のところ1フレームでピアノの鍵盤上にあった指が押下されるのは見て取れ、2フレーム音と映像がズレると素人目にもズレが分かってしまう。その位の長さは有る。

 じゃあ音と映像どちらが先行する方が自然に見えるのだろう?
これが試してみると、音声先行だと、なんか知らないけれど映像が遅くなって見える。しかし逆に、映像が少し先行しても同時感は 比較的保たれるように見える。

理由は分からない。
個人的意見として、視覚と聴覚では、脳が認識の為の処理に要する時間が異なるからななのではないかと思う。
つまり、視覚と聴覚は別の時間にそれぞれ認識が完了するのだけど、それが頭の中で統合される際に偽りの同時性が付与されるのではないか、なんて考える。

言葉を足すと、視覚の処理班と聴覚の処理班が頭の中にいてそれぞれに処理をしている。そして、それぞれ1/30秒だけ待っているその間に相手の処理が終わって信号がやってきたらそれを脳の中の偉い人が「同時」と判断するのではないか? そして聴覚の処理は視覚の処理より常に1/60秒早く処理が終わっているのではないか? と言う事だ。

上記はあくまで個人の考えなので、あまり本気にはしないで欲しい。

ふと考えた事,

写真のジャムは業務スーパー(という名前のお店)で売っているブルガリア産のあんずジャム。大きい瓶なので食べでが有る。味はロットにより若干異なるが問題なく美味しい。

所で、これふと見たら蓋に「2020.09.10 12:30」と書いてあった。日付は消費期限だと分かる。しかし時刻まで書いてあるのは謎だ。

サンドウィッチとかそういった今日中に食べないといけないものについては、消費期限に時刻が表示されている意味は分かる。でもこれは1年以上持つ瓶詰のジャムだ。それが何だって時間、しかも少なくとも30分単位の時間まで細かくリミットを伝えて来るのだろう?

この日の12時30分より前と後とで、何かが決定的に変わるのだろうか?だとすると、どの国の時刻での事だろう?

ふと考えた事

 この間車のタイヤを替えにオートバックスに行ったら、待合室のTVで箱根駅伝を放送していた。うちの奥さんはそれを随分気に入ったらしく、画面を熱心に見ていて、ピット作業終了後に今度はラジオで聞き始めるほどだった。
 あれはTV番組としてショウアップされているから見るのだろうか? それとも、河原で一人走っているお爺さんとかでも応援したくなるのだろうか? 多分後者だと思う。走っている人って応援したくなる。
私は前自転車で坂を上っていたら、そこで犬を散歩させていたおばさんに「ほれ、がんばれっ!」て応援された事がある。それは結構長い坂で、彼女は向こうの方からずっと見てくれていたらしい。思わず「ありがとうございます!」とか返事をしたけど、自分は恐らく凄い形相で上ってきたのだろう。思い出すだけで恥ずかしい。