バルーンアートを頂いた

ピアノの発表会でステージを飾ったバルーンアートを、一つ頂いた。

写真だとちょっと不気味な感じもするがこれは写真の撮り方の問題である (カッコ良く撮ろうと思ったら不気味になってしまった)。とは言え、リビングにこれが置いてあるのは正直違和感を覚えなくもない。

でも、家に帰って来てこれを見たウチの奥さんが開口一番に述べたのは「子供が小さいころ、こういうの大好きだったよね」だった。
そうだった。忘れていたけど、小さい子供はこういうのが好きだ。
それを考えると、特に小さい子供が出演する発表会のステージにバルーンアートが飾られるのはいい事だと思う。楽しいし奇麗だし、もしかすると子供たちの緊張感も和らぐかもしれない。

因みにこれは、この後半月ほど家に飾っていた。流石に最後らへんは風船の空気が漏れて萎んでしまったが、随分長持ちすると思った。

キンカンの花が咲いている

引っ越してきた時に買って植えたキンカンの木が、今年は花を咲かせている。

この木は引っ越してきた2年前に買って植えたもので、買ってきた当初苗には実が付いていた。なかなか美味しい実で、これが毎年食べられるのなら嬉しいじゃないかと思っていたのだけど、でも実が収穫出来たのはその最初の一回だけで、その後は花は咲かず実は付かず、おまけに葉っぱも黄色くなってきてしまって、枯れるのかと思っていた。

所で、庭のこの場所はどうも最近、近所の猫のトイレとして利用され始めたようだ。いつも猫がひっかいたと思われる爪の跡が地面についているし、ウンコが落ちている事も良くある。猫除けにコーヒー殻とかを撒いても事態は改善されず、仕方が無いからウンコは埋めていた。

そうした所なんと、黄色くいかにも不健康そうに縮れて丸まっていた葉っぱがみるみる若々しい緑になってきて、そしてついに花が咲くに至った。これは多分、この場にされた猫のウンコが肥料になったからに違いない。

因みに、キンカンの花はとてもいい香りがする。甘く爽やかな香りは本当に心地よく、この花の為だけに木を植えるのもアリだと思えるほどだ。ウンコウンコと書きまくっている文脈でこの花の香りが上手く表現できているのか自信がないけど。

結末は予定調和的予想外

ドラマツルギーというものは、この現代において手垢にまみれ、手段は使い果たされてしまったものなのかもしれない。意外な結末、例えば内通者は実は物語の初めっから主人公の近くにいた信頼できる(と読者は思っていた)仲間だった、とか、犯人は実はいつも行動を共にしていた警官だった、とか。ずっと信頼して使ってきた機材が、肝心なときに壊れて主人公がピンチに至る(もしくは重要人物が死ぬ)というのも定番の展開だ。

家庭で使うミシンが壊れたって誰も死にはしないが、作ろうとした鞄が作れなくなったという展開に機材の故障と言うのはいかしていると思う。何が起きたかと言うとつまり、20年間使っていたミシンが、鞄を作ろうとした今、よりによって壊れてしまったという事だ。

このありがちかつありきたりなストーリーが現実に目の前に展開するとは、事実は小説なのだろうか?