世界を支配するリズムの終焉

小学生の頃友達から大発見といって教えて貰ったのは、「どんぐりころころ」と「水戸黄門」の歌詞は入れ替え可能であるという事だった。彼は歌った。

「どーんぐり こーろーこーろー どーんぐーりーこー くじけりゃ だれかが さきにゆく」「人生 楽ありゃ 苦もあるさー お池に 嵌って さあ大変」

本当だ! 何ということだ!
しかも、思い出してみると「飛んでったバナナ」も「小鳥はとっても歌が好き」も「もしもし亀よ」も、歌詞の大部分を入れ替える事ができる。知らなかった。世界はなぜかこの法則下に置かれている!

これは七五調と言われる、7+5、3+4+5、4+3+5のような音節の組み合わせで構成される日本語のリズムで、先に上げた歌詞の場合音節を数えると8+5になるのだけど、分類としては七五調とされているらしい。

そして、もともとは和歌のリズムであった七五調は一時期楽曲にも多用されていて、よく見られるのは軍歌、子供向けの動揺なのだけど、歌謡曲にも例はある。そしてそれらの多くは、歌詞を入れ替え可能だ。
例えば、チェッカーズのギザギザハートの子守唄は軍艦マーチの曲にのせて「ちぃちゃな頃から ワールガッキでー」と歌えてしまう。

少し前の歌謡曲界隈の人は、この七五調からの脱却を試みて苦労したと、ググったら書かれていたページが有った。そしてここ最近は少なくなったと思う。思い当たるのはきゃりーぱみゅぱみゅ位か。

寝る前に思いついたことを朝思い出すと恥ずかしい

夜寝る前、それこそベッドに入り眠りに落ちる前、頭の中には色々な考えが浮かんでくる。
別に考えているわけではないのに自動的に、まるで夢を見ているようで、時には自分で自分にインタビューして、それに対して自分で「うーん、そうですね」とか答えていて、お前は一体誰だ? と自分でも思う。

昨日の夜はっと気が付いたのは「辛いものを食べること、さらに、辛い料理の唐辛子の量が美味しく楽しんで食べる量を超える事、これは創造的行為ではないか?」というものだった。
単なる楽しみを超えて、追求のさらなる高みに向かい辛い道を進む事(からいではなくてつらいと読んでください)は、芸術を追求する姿勢に他ならない!

そして朝。何でこんな事で興奮していたのだろう? と思う。お腹も痛いし。