日々日常

居間で新しく買ったインターバルタイマーのテストをしていたら、ここでカーテンの引っかける所を作り直している母娘の様子が写っていた。
パンダの観察みたいで面白い。

日々日常

 この間近所のホームセンターに行ったら、園芸コーナーに若いお父さんと二人の小さい息子が来ていた。最近この近所に越してきたのだろうか?お庭作戦と言ってリンゴがいいかなーブドウ? と庭に植える果樹を選んでいた。
 子供に庭に植える木を選ばせるっていいと思う。それは親子で将来を共有するという事だ。

子供たちがハナミズキを指さして鼻水鼻水と言って喜んでいた。お父さんも肯定していた。

日々日常

これは家族旅行の途中、道の脇にあったセブンイレブンの駐車場で撮影した。
遠くまで来て背景がセブンイレブンというのも何なので横で撮ったのだけど、ちょうど道をセブンイレブンのトラックが通ったので、何だか分からない写真になった。

タイトルで検索して来てくれた方向けに記念写真について真面目に書いておくと、記念写真は、いつの何処で誰と誰がといった情報が読み取れるものが良いと思う。写真がサンプルになってなくて申し訳ない。

娘にAL-38432DSをあげたので、と言うのは半分言い訳でAL-38432DQを買った。買った当初は高音がちょっときついという印象を受けたのだけど、半月経ったら本当にずいぶん落ち着いたので、両者を比較して感想を書いてみたいと思う。因みに音源はPCで再生するCDやmp3で、PCとはUSBで接続、音はYamaha msp5 studioにrca-フォンケーブルで接続して出している。

AL-38432DS(以下DS)とAL-38432DQ(以下DQ)を繋ぎ変えてまず感じるのが音像定位の違いで、DSは左右のスピーカーを鳴らしている感じがするのに対して、DQはヘッドフォンで聴いているようにギュッと纏まる感じがする。それから、曲の音数が多い時にもDQは音それぞれがよりそのまま聴こえる。

オンマイクで撮られた生楽器の音は、DSが「録音されたデーターそのまま」という感じとすると、DQは「マイクで拾ったそのまま」という感じだ。臨場感というより、オンザケーブル、エンジニアリングそのまま感、そういう音がする

また、DQで電子音楽を聴くと曲の印象は別物だ。キンキンガリガリとゴキゲンな事この上ない。DSでも聴けば音はちゃんと出ている。でもDQのこの音は、実に楽しい。

ただ、ここまで誉めそやしておいて何なのだけど、DSと比較して音質の差はそんなには大きくないと思う。なので、このブログのレビューを読んでもDSを窓から捨てたり、DQに過大な期待をしたりはしないで欲しい。
結論として、これからこのクラスのDACを買うのならお勧め。しかし、AL-38432DSとか同クラスのDACをすでに持っているのなら買い替えや買い増しは趣味の範囲、といった所か。

しかし、手ごろなDACとアクティブスピーカーだけで、しかもその辺の安ケーブルで繋いだだけでここまでの音が出てしまうとは、最近のオーディオ機器には恐れ入る。実のところ大満足で曲聴いているとウキウキ踊ってしまう。
今窓のカーテンが開いている事に気づいた。ご近所さんに丸見え。

 娘は今年の結婚記念日のプレゼントにはオーディオが欲しいと言った。
今まで音楽はずっと携帯mp3プレイヤーで聴いていたのだけど、春休みに行ったグランパのウチで新しいオーディオセットの音を聴き、そのあまりの音の良さに感動したとの事。

 そのオーディオセットの値段を調べたら10チョイ。意外と安い。オーディオという道楽の世界で10万というのは安いというか、値段だけで判断するなら、はっきり言って安物だ。

 だが、私は知っている。今の時代の機材は物凄く進歩していて、安くてもそこそこ良い音が出るのだ。という事で、娘と相談してタンノイ リビール 402を買った。1本2万円以下である。

 慣らしも進んだので音の感想を述べると、これがなかなか宜しい。まるで脳内で疑似再生されているような音で、良く出ているというより良く聴こえて来ると言った方が適当な音だ。
何が聴こえるかと言うと例えばコンサートホールで客の誰かが咳をしたとか。今までもその音は聴こえていたはずなのだけど全然気が付かなかった。それが、あれ? 誰か咳した? と言う感じに頭の中に響く。ピアニストの爪が鍵盤を叩く時に出たカチカチと言う音も妙によく聴こえる。弾きながら歌う声(というか唸る声というか…)も、異様によく聴こえる。バイオリニストのタイミングを息で合わせているその鼻息も、本当に僅かな音量なのだけど、それが本当に生々しく聴こえる。

 特に人の声の再生は、魔が潜んでいると言った雰囲気だ。まるで人が喋っているように聴こえる。ぼーっとお茶を飲みながらYoutubeで音楽を流してたら、突然入るCMの人の声に思わず返事をしてしまった。

 これは決して私が間抜けだからという訳では無くて(ホント)、ヤマハのスピーカーなら人間の声とは全然違うから別に注意しなくてもはっきりとCMの再生音と解る。でもタンノイだと騙される。

場所と時間

 春日部には、全面にクレヨンしんちゃんが描かれたバスが走っている。
クレしん大人気の昔は主人公が何かにつけパンツを脱ぐ、子供は絶対見ちゃダメ、親が子供に見せたくないNo.1の不健全番組だったと思うのだけど、いつの間にこんな風に市民権を得たのだろう?
それにしても大きく漫画を描いたこのバスの見た目はまるで痛車だ。内心喜んでいるが人にはそれは見られたくない。だかしかしちょっと主張もしたい。見せたくないが見せたい。作った人も乗る人も複雑な心境だろう。
こういうの凄く好きだ。

 そして下のヒデヨシの壁画は野田にあったもの。初め見た時は巨大な落書きかと思ったが、調べてみるとこの辺りは作者ゆかりの地らしく、この漫画のタイトルも近所の駅名から取ったものとの事。
歴史はあるけどただの街中、ひとの生活が有るその辺にでかでかと漫画を描くこの感性は流石野田だと思う。野田は行く度に好きになる。

所で、この絵はとても良く描けているが近くで見ると残念なことに経年変化で少し傷んできている。これは今後どうするのだろう? ペンキ職人が上から修復を行ってゆくのだろうか? そうすると代を重ねるうち絵は原画と似てもいない仕上がりになって行くだろうか?

日々日常

結婚記念日だったので仕事の帰りに川口緑化センターに寄り、切り花を買ってきた。
カラーはその場を支配し雰囲気を変える特徴的な香りがする。 いい香りだ。 ピーターバラカンが「花の香り」を「A hint of calla」と訳した歌を思い出す。それはカッコイイ訳だと思う。

花卉が無いので広口瓶の蓋を取ってそこに活けた。

前住んでいたところで通っていたガススタンドは、セルフなんだけど店員さんは甲斐甲斐しく働き、色々サービスをしてくれる所だった。

何年前だったろうか、その日は、 若い店員さんが手に測定器を携えてやって来た。 バッテリーの電圧を計ってくれるという。
どうせ給油中は時間が有るし、なんだか急に電圧も気になり始めたので、見てもらう事にした。

ボンネットを開けて測定器を繋ぐと、結果はすぐに出た。電圧は極度に低下していて、バッテリーはすぐに交換が必要なほどに弱っているらしい。

ふいに告げられたその告知には衝撃を受けた。
その機械は小型のプリンターが付いていてセロテープ位の幅の紙に結果を印刷して出してくるのだけれど、その紙に丸と線と点で描かれたプリミティブな顔が悲しく泣いているマークも印刷されていたのを印象的に覚えている。

それは大変だと急いでバッテリーの充電器を買い、一晩充電を行った。
それでもう大丈夫だろうと安心していたら次の給油時、同じガススタンドで例の機械を繋ぐと、 充電前と比べて改善は僅かばかりで電圧はとても低く、 バッテリーは要交換と出た。

これはおかしい。私は、このバッテリーはちょっと前に充電をした旨を伝えた。店員さんの意見は、バッテリー自体が弱っているのではないかとの事だった。

実は、これには自分にも思い当たる節が有った。そのバッテリーは2年ほど前にホームセンターで買って交換したものなのだけど、軽自動車ならこれでいっかと言う感じで一番安い外国製の物を選んでいたのだった。

やっぱ安物は寿命も短いなぁと思ったので、今度はちゃんとユアサのそこそこ良いものを買ってきて、取り換えた。

さて、また給油の日がやって来た。
同じガススタンドで給油していると、またバッテリーの電圧を計ってくれた。多分同じ機械だ。計ってくれた人も同じだったかもしれない。

測定値も同じだった。


日々日常

 健康食品は美味しくない。これは真理だ。
なぜそうなのか? これは想像だけど、健康食品を好む人は、修業が好きだからだと思う。健康食品が好きな人は多分、修行によって何か得難いものを獲得する事を夢見るという感性を持っている人達なのだ。そういう人たちにとって、美味しくないものを我慢して食べる事は将来の喜びと希望に到達するための自己否定的な厳しい修行なのだろうと思う。

 自分は子供の頃一の時期、人生のうちでは極一瞬なのだけど、オートミールを食べていたことがある。家の方針による健康志向の為だ。しかしミルクで煮たそれの味は壮絶で、筆舌に尽くしがたい。チューブ入りヤマト朔を食べた方がまだマシと思えるほどだった。

 という歴史が有った為、私はオートミールは嫌っていた。しかしそれが最近、結構な頻度でオートミールを食べている。なぜ食べるようになったかは自分でもよく分からない。多分近所のスーパーでそれを安く売っていたからだと思う。安かった!に負けた。自分でも本当にポリシーの無い生き方だなと思う。

 で、どうやって食べているかと言うと、ただ丼にオートミールを入れて上から熱湯を注いでいるだけだ。簡単な食べ方だけど、この方が鍋で煮るよりボソボソとした食感が残り、かえって食べやすい。
美味しく食べるコツは、とにかく味を付ける事で、塩でも塩昆布でもイカの塩辛でも梅干しでも良いからとにかく塩辛くする事だ。
さらに、ここにインスタントのコンソメのもとやお茶漬けのもとを入れるとジャンクな味になって、ファミリーレストラン風の味になる。この味は子供や、子供っぽい味覚のまま大人になった人には受けるだろうと思う

 でも私は何故か、こういう濃い味付けをして食べてると妙な事に少し罪悪感を覚える。厳しい修行に耐えきらなくて脱落した感覚だ。
しかし、この退廃した感覚がまた、料理に一味加えているとも思う。退廃は享楽なのだ。(お茶漬けのもとの何か料理かと言うのはこの際気にしない)


日々日常

 クレープは美味しい。生クリームやアイスクリーム、フルーツ等甘い物を包んで食べるお菓子のイメージが強いけど、お肉やソーセージにレタスを巻いてマヨネーズ味で食べても美味しい。甘く、バターの効いた卵の風味と、塩味、そしてしっかりした肉の旨味は大変良く合う。
それじゃ食べごたえが足らないというのなら、ごはんも入れちゃえばいい。味は問題なく旨い。しかしそれはクレープなのか? それとも茶巾寿司の一種なのか?

 ウチではこういう料理はカセットコンロを使って、家の外で行っている。こうすれば台所が油等で汚れる事も無い。それに後片付けも掃除も楽。
問題は前の道を歩く通りがかりの人に丸見えな事で、これは前住んでいたアパートのベランダと違う所。私もよくこの場所でたこ焼きとかお好み焼きとかを焼いているのだけど、皆さん見るとはなしにチラ見してきて、結構恥ずかしい。
 それで思い出すのは、昔社会科の授業で見たスペインの事情というビデオだ。そのビデオの中では、スペイン人はみんなごはん時に路上に出て来て、それで七輪みたいなのでイワシを焼いていた。
八王子もスペインだと思えばいいと思った。そして私はスペイン人だ。オラコモエスタ。ニッコリ笑ったら目をそらされた。