ニョッキを食べた

ニョッキというのは、じゃがいもと小麦粉をこねて茹でた食べ物の事だ。日本で言う所のスイトンをイメージして頂けると・・・味はかなり違う。

料理当番の娘が作ったのだけど、本人的にはどうも微妙だったらしい。
私はこの後美味しく頂きました。

平らで銀色な時計の針は見えにくい(事がある)

先回のエントリーではシチズンQ&Q H062-005を買った事を書いたが今回はその続きで、数日使ってみての感想。
件の時計は写真向かって左の物。付けてみるとプラスティック製はやはり軽いし、まるでおもちゃな見た目も悪くない。因みにバンドは元々付いていたものではなく、キュウリのお漬物みたいな配色が気に入って買った。

時計は、よく見ると数字は夜光塗料で盛り上がり、針はきれいなリーフ型で特に長針はすーっとインデックスまで先が伸び、途中は窪んだ中に夜光塗料も塗られて、と、割りと凝ったデザインだ。(因みに夜光塗料はインデックスにも付けられていて暗い中で一応光る。が輝度は低い)

ただ、時針と分針が平らな金属製で、これが角度や光の調子によって見え方が変わってしまい、見えにくい事があった。勿論リーフ型の夜光塗料の部分は見えるのだけど、その部分は両方の長さがとその差が中途半端でぱっと見分かりづらい。

この時計の銀色の針が見えづらいのは、平らで光沢がある仕上げだからだ。これだと光を鏡のように入射角と反射角を同じにしてしまい、見る角度によって明るさが変わってしまう。時には真っ黒に見えることもあり、文字盤の黒と馴染んでしまう。

右は比較のために置いた、やはり銀色の針の、ボッチア 510-93(これもバンドはもともと付いていた革製からナイロン製に付け替えている)。こちらは針が円柱形で、一見何の飾り気もないただの線にしか見えないのだけど、どの角度から見ても文字盤とのコントラストが付き、立体的なインデックスには影も付いて、ぱっと見てさっと針の位置を読み取る事ができる。

こんな腕時計でもデザインは奥深いものだと思った。

カメラマンには腕時計が必要。なぜ? 何が良い?

最近は保育園の撮影が多いのだけど、この仕事に腕時計はつくづく便利だと思う。

時間の流れというものは(現代社会においては)天体の運行のごとく揺るぎなく均一であるという認識はあるものの、撮影に夢中になっていてるとつい時が経つのを忘れ、その効果はあたかも龍宮城に招待された浦島太郎の如く貴重な撮影時間を浪費させてしまう。
ハイテク社会の現代でも時間は、主観的には決して標準化はされていない。

保育園では他のクラスでも同時進行で色々なことをしてるので、ペース配分を乱さず全てのクラスで良い写真を撮ってゆくために現在時刻の確認は欠かせない。その際、一瞬で時刻を知ることが出来、残り時間も把握しやすいアナログ表示の腕時計は竜宮城的保育園内において大変便利な道具なのである。

付ける時計は見やすければそれこそ何でも良いとは思うけど、もしこれから買うのなら風防(前面のガラス)は樹脂製が良いと思う。
保育士さんのする腕時計の割合はどこに行ってもG-Shockが多い。これは気がするだけではなくちゃんと数えた。その他の時計でも殆どの人がいわゆるチープカシオ等、やはりプラスティック製のものを付けて、これは多分保育園で万が一時計のガラスが割れたら嫌だからだと思う。

私は最近まで手持ちの普通の前面がガラスの腕時計を付けていたのだけど、先日その時計の針が取れてしまい、修理するほどのモノでもなかったので、この際と思い、新しくアクリル風防の腕時計を買った。(カメラマンならカメラのレンズという大きなガラスを何枚も持ってウロウロしている訳だけど、それはそれである)

このソーラー時計「H062-005」は風防だけでなくガワもプラスティク製で見た目は率直に言って安っぽい。NATOタイプのベルトはナイロン製で輪をかけて安っぽい。でも、その佇まいを含めて気に入った。特に、数字の12と6のフォントが少しだけ大きいという毒が入っているところが良い。

アローカナの青い卵

道端で青い卵が売っていた。6個で250円はちっと高いかなとも思ったけど、珍しいので買ってみた。写真は別に加工されたものではなく、この卵は本当にこのような色をしている。(奥にある白いのは普通の鶏卵で比較のために置いた)

味はやや濃くて美味しいと思ったけど、でも率直に言って鶏卵の範疇。

葉牡丹は育ついつまでも

去年の冬から庭の花壇を縁取っていた小型の葉牡丹のうちの一つが、秋になっても枯れないで茎を伸ばしている。
調べてみた所この植物はアブラナ科の多年草だそうで、どうもこのまま育ち下手をするとこの枝の先にまた結球を作るらしい。

なかなか好奇心をソソられる未来だけど、でもこの場所でそんな事されたら恐怖の人食いキャベツみたいになる事は想像に難くない。

東トツカーの謎

JR東海道線は東戸塚駅に降り立つと、駅構内の放送が2回繰り返して東戸塚をアナウンスするのが聞こえた。それは国鉄時代の駅員さんのように「ヒガシトツカー、ヒガシトツカー」と語尾を伸ばしていた。

昔は全部その場で人がやっていたので、人の癖と言うのもあるとは思う。しかし昨今の定形アナウンスは自動で録音された音声を流している。という事は、この語尾を伸ばす言い方はあえてそうされているという事になる。
しかし、都内ではこういうのはあまり聴いたことがない。電車の中の車内放送(これも自動)でさえ、「次は東戸塚」と普通に言っていた。なぜ駅のホームにかかるアナウンスだけ語尾を伸ばすのだろう?

昔を思い出してみると語尾を伸ばしている人は多かった気がする。と言うか、駅員さんも車掌さんも、語尾に限らず変な発音をしている人が多かった。
一例として、私が昔アルバイトに通っていた「大岡山」、カタカナで表現すると「オーオカヤマ」と、普通に読むと長音のオーにオカヤマが続くこの大岡山を、東急大井町線の車掌さんは人によってまちまちにアナウンスしていた。例えばこんな感じ

「カヤマ、カヤマ」(先頭のオは一つも聞こえず)
「オカヤマオカヤマ」(すごい早口で続けて発音)
「オーカヤマ、オーカヤマ」(オが一つ足りない)
「オッ、オーオカヤマー、オッ、オーオカヤマー」(オが一つ多い)

勿論「オーオカヤマ」と発音する人もいたけれど少数派で、その声を聴くとこの人は新人なのかな? と思ったりした。