八王子にイノシシはいる

暑い夏が終わった後、関東の冬は過ごしやすい。今はちょうど小春日和と言われる一瞬冬の寒さが緩む時期で、天気は晴れて風も穏やかだ。
この写真は近所にある滝山城址で撮影されたもの。いまだに紅葉の葉が残っており、秋の雰囲気だった。

八王子は一応、東京から出る中央線普通に乗って乗換なしで来られる範囲の所謂首都圏なのだと思うけど山が近い。テーブルにバンと手のひらを付いたそれを山だと見立てると、八王子はちょうど指と指の間の水かきの部分に位置するのである。

自然が近いので、大型の野生動物も出没する。このあいだ八王子市役所の近くでクマが目撃されたというニュースが回ってきた。
目撃者がスマホで撮影した動画が解析された所、それはイノシシらしいという事に話は落ち着いたのだけど、でも首都圏でイノシシを見るというのも珍しいことではないだろうか?
私も八王子に引っ越してきてから野生のイノシシを見た事は2回しかない…って結構見ているな。因みにタヌキはよく見る。

一年365.2425日

最近、ウチの近所にドラッグストアが出来たのだけど、そこは売っている物の値段が常時それぞれちょっとづつ安くて、どうもその値付けが売りのお店らしい。
今の時代、特売の広告を打って集客をするより、店に他店より何を買っても安いという印象を持たれる方が効率的なのかもしれない。
それに、広告を打つとその地域の店全店がその商品の安売りをしなければいけなくなるが、広告を出さなければ店舗ごとに細かく値付けをする戦略も取れそうだ。

という事で何かと話題に上るお店なのだけど一つ気になることがあって、それはそこのキャッチコピーが365日安いという所。365日とは多分一年の事だ。とすると(ほぼ)4年に1度の閏年はどうなるのだろう?

とは言え、365は広く人口に膾炙する数字であり、それだけキャッチーでもある。私はある歌手が真ん中にステージの有るライブ会場でグルっと365度と言ったという話が愛おしいまでに忘れられない。

自分が愛したものは死ぬの法則

写真は好きかと問われれば、見るのも撮るのも好きだと答えられる。でも、好きなものをを好きなように撮っているかと問われれば、それはそうでもなくて、と言うと誤解を与えそうなのであえて書くがそれは嫌いではないが、でも自分が好きなようには撮っていないのは事実だ。

特に休みの日に自分の趣味で撮っている写真について述べると、これはもう完全に受け狙いだ。自分の好きは固く封印しているのである。なぜかと言えば、自分が好きなように撮るより受けを狙って撮る写真のほうが実際受けるし、それに自分で見てもいい写真だから。

大体、今までの人生の傾向からして、自分がものすごく好きで好きで愛しているものを他の人は概ね評価しない。
例えば好きで通っていたレストランは潰れる傾向にあった。例を挙げると淵野辺のうどん屋「カラス屋」淵野辺のベトナム料理店「バゴ」南橋本のカレー屋「アフロザ」等など、どれも忘れがたい美味しさで、一人であるいは家族や友人を誘って通ったのだが長続きはしなかった。

昔見たTVドラマで、主人公が愛した女性は死ぬという設定のものがあった。作中、登場人物といい感じになると、案の定死んでしまうのである。お前は死神か?という感じもするが、自分にも若干その気が有る事は自覚している。(因みにそのドラマ、最後にはその主人公も死んでしまい次の回からは登場人物が総入れ替えになるという展開にも驚いたものだ)

SEO対策もしなければ

どうも今のインターネットはほぼGoogleが支配しているようで、ググっても出てこないホームページはこの世に無いに等しいと言っても良いかもしれない。

その点、ウチのホームページはどうもSEO対策は上手く行っていないようで、大抵のキーワードでは検索しても結果から除外されてしまう。これはもとプログラマーの私としても歯がゆい。

Googleも検索結果の品質向上には力を入れているようで、一時期のようにまとめ記事ばかりが検索上位に上ってくることは無くなったと思う。要領の良い人ではなく真面目にやっている人が報われるのは良いことだ。
ただ、ブログでおちゃらけた事ばかりを書いていると写真関係のホームページとは見なされず検索順位が落ちてしまうかもと心配になる。なんとなくブログだけ読んでいたらAIでなくても、自分で読んでも写真屋だとは思えない。何とかしなければ。

写真屋が責任を持って書ける事と言えば「写真のとり方講座」位だろうか?
第一回目は、「初めてのカメラの選び方」
この記事を読んでおられる方は大抵、スマホをお使いと思う。すると、そこにはカメラが付いている。
何と、この講座は始めてすぐに終わってしまうのだった。

世界を支配するリズムの終焉

小学生の頃友達から大発見といって教えて貰ったのは、「どんぐりころころ」と「水戸黄門」の歌詞は入れ替え可能であるという事だった。彼は歌った。

「どーんぐり こーろーこーろー どーんぐーりーこー くじけりゃ だれかが さきにゆく」「人生 楽ありゃ 苦もあるさー お池に 嵌って さあ大変」

本当だ! 何ということだ!
しかも、思い出してみると「飛んでったバナナ」も「小鳥はとっても歌が好き」も「もしもし亀よ」も、歌詞の大部分を入れ替える事ができる。知らなかった。世界はなぜかこの法則下に置かれている!

これは七五調と言われる、7+5、3+4+5、4+3+5のような音節の組み合わせで構成される日本語のリズムで、先に上げた歌詞の場合音節を数えると8+5になるのだけど、分類としては七五調とされているらしい。

そして、もともとは和歌のリズムであった七五調は一時期楽曲にも多用されていて、よく見られるのは軍歌、子供向けの動揺なのだけど、歌謡曲にも例はある。そしてそれらの多くは、歌詞を入れ替え可能だ。
例えば、チェッカーズのギザギザハートの子守唄は軍艦マーチの曲にのせて「ちぃちゃな頃から ワールガッキでー」と歌えてしまう。

少し前の歌謡曲界隈の人は、この七五調からの脱却を試みて苦労したと、ググったら書かれていたページが有った。そしてここ最近は少なくなったと思う。思い当たるのはきゃりーぱみゅぱみゅ位か。

家と家の隙間から見えるバス停

ウチが建っているのは所謂住宅街で、家の窓から見える景色と言えばどちらを向いても隣の家なのだけど、家と家の隙間から少しだけその向こうの方を見ることが出来るのは嬉しい。

最近向かいの家が建て替えられて少しサイズが小さくなったので、今までは見えなかったバス停付近も見えるようになった。ここからの距離は100m位だろうか。バスが来る時刻になると、並んでいる人の頭が見える。(写真には写していません)

ヤーコンはウドの味

ヤーコンは以前このブログで紹介しているのだがそのエントリーを含め、2年分ほどごっそり消してしまった。それは自分の痛恨のミスであり、こうしてまた同じ物を紹介するにあたり残念な気持ちを思い出してしまう。

この見た目はサツマイモと見紛う泥のついた根塊は、しかし皮をむいて見るとみずみずしくいかにもそのまま食べられそうな様子をみせ、また実際生で食べられる。

食べてみれば特に不快な味や香りはしないけどだからと言って特別甘くも良い香りでもない。一番似ているのは風味も食感もウド。それがほんのちょっとだけ甘味を増したような味だ。