30年前のパーカーソネット万年筆

これは、最近筆記用具に凝っている娘が母親の手から開放し、獲得したパーカーソネット。しばらく使われていなかったので、ぬるま湯につけて固まったインクを溶かしている。

これは、元の持ち主が20代の時に彼女の父親からプレゼントされたものとの事。とすると、買ってからもう30年くらいは経っている事になる。
ご存知の方も多いと思うが、パーカーソネットは大ベストセラーの万年筆で何が良いかというとまず細い事。表記の割に太いのが多い外国製のペンの中にあってこれはペンポイントが小さく更にはインクフローも少なく、ペン先の表記通りに細い字が書ける。写真のこれはFだ。FだとFらしくちゃんと細くて、手帳に漢字を書くのに全く問題がない。
そして、そんな渋いインクフローにもかかわらず字を書いていて全くかすれる気配を見せない。
ペン先はしなやかで紙への当たりは柔らかく、細字の割に滑り具合も良く、普段遣いにはまあこれ以上のものは無いだろうという感じがする。

ただこれはペン軸の上の方が真鍮製、下の方がプラスティック製で、バランス的には若干上が重たく、ここは好みが分かれる所だと思う。

ラミーのコンバーターが使えた。


SEO対策もしなければ

どうも今のインターネットはほぼGoogleが支配しているようで、ググっても出てこないホームページはこの世に無いに等しいと言っても良いかもしれない。

その点、ウチのホームページはどうもSEO対策は上手く行っていないようで、大抵のキーワードでは検索しても結果から除外されてしまう。これはもとプログラマーの私としても歯がゆい。

Googleも検索結果の品質向上には力を入れているようで、一時期のようにまとめ記事ばかりが検索上位に上ってくることは無くなったと思う。要領の良い人ではなく真面目にやっている人が報われるのは良いことだ。
ただ、ブログでおちゃらけた事ばかりを書いていると写真関係のホームページとは見なされず検索順位が落ちてしまうかもと心配になる。なんとなくブログだけ読んでいたらAIでなくても、自分で読んでも写真屋だとは思えない。何とかしなければ。

写真屋が責任を持って書ける事と言えば「写真のとり方講座」位だろうか?
第一回目は、「初めてのカメラの選び方」
この記事を読んでおられる方は大抵、スマホをお使いと思う。すると、そこにはカメラが付いている。
何と、この講座は始めてすぐに終わってしまうのだった。

サンタクロースについて思うこと

発表会の飾りに使われた風船を頂いた。本当は花束のように整えられていたのだけど、帰りに山道を走っていたらカーブでバラバラになってしまったので自分で差し直したら結構難しくて、これは華道、いや風船道だと思った。

しかし、”メリークリスマス”である。若い頃は謎だった。何でクリスマスを祝う親は子供に、いずれは絶対にバレるサンタさんがおもちゃをくれるという嘘を付くのかという事が。

これは想像なのだけど、自分の子供にサンタクロースの嘘を信じさせる親の動機は、子供に自分の言うことを聞かせるための権威として利用したいという事なのではないかと思う。つまり、
「あたしの言うことを聞かないと、サンタさんがおもちゃをくれないよ」と言って子供を従わせたいのではないかと。

なら、何で親である当人がおもちゃのプレゼント与奪件を掴んで行使するというスタイルにしないかと言えば、理由はだいたい次のようなものだと思う。

・親の理不尽な要求に対する不平不満が直接親に向かう事を避けられる。
 なんせサンタさんのする事なので、自分はコントロール出来ないという体を装うことが出来るので。

・親の目の届かない所でも、想像上の監視の目が光っていると恐れさせることが出来る。
 サンタクロースの目はあまねく全地を見張っていると子供が勝手に想像を膨らまさせ、こちらが言う以上のことを恐れたり敬ったり喜ばせようと努力させることが出来る。

つまり、サンタクロースの嘘を信じる子供は勝手にいい子になってくれるのだ。凄いなサンタクロース。

三鷹跨線橋

ここははJR三鷹駅から線路沿いに少し歩いたところにある、操車場を跨ぐ三鷹跨線橋。
良い眺めである。

この橋は地元の人には人気のある場所のようで、この日にも子連れ、明らかな電車好き、犬の散歩、カメラを持った人にタバコを吸いに来たちょっとアウトローな人と、結構な人出だった。
特に夕方の時刻になると、富士山見物に多くの人が集まった。
実は私もここが好きで、三鷹に来る機会がある度に来る場所だった。

場所とは、ここまで来る道のりの体験であり、空気であり、音であり、其処にいる他の人々であったりする。ここが無くなるという事はその全てが無くなるという事で、結構寂しいものだ。

ニョッキを食べた

ニョッキというのは、じゃがいもと小麦粉をこねて茹でた食べ物の事だ。日本で言う所のスイトンをイメージして頂けると・・・味はかなり違う。

料理当番の娘が作ったのだけど、本人的にはどうも微妙だったらしい。
私はこの後美味しく頂きました。

平らで銀色な時計の針は見えにくい(事がある)

先回のエントリーではシチズンQ&Q H062-005を買った事を書いたが今回はその続きで、数日使ってみての感想。
件の時計は写真向かって左の物。付けてみるとプラスティック製はやはり軽いし、まるでおもちゃな見た目も悪くない。因みにバンドは元々付いていたものではなく、キュウリのお漬物みたいな配色が気に入って買った。

時計は、よく見ると数字は夜光塗料で盛り上がり、針はきれいなリーフ型で特に長針はすーっとインデックスまで先が伸び、途中は窪んだ中に夜光塗料も塗られて、と、割りと凝ったデザインだ。(因みに夜光塗料はインデックスにも付けられていて暗い中で一応光る。が輝度は低い)

ただ、時針と分針が平らな金属製で、これが角度や光の調子によって見え方が変わってしまい、見えにくい事があった。勿論リーフ型の夜光塗料の部分は見えるのだけど、その部分は両方の長さがとその差が中途半端でぱっと見分かりづらい。

この時計の銀色の針が見えづらいのは、平らで光沢がある仕上げだからだ。これだと光を鏡のように入射角と反射角を同じにしてしまい、見る角度によって明るさが変わってしまう。時には真っ黒に見えることもあり、文字盤の黒と馴染んでしまう。

右は比較のために置いた、やはり銀色の針の、ボッチア 510-93(これもバンドはもともと付いていた革製からナイロン製に付け替えている)。こちらは針が円柱形で、一見何の飾り気もないただの線にしか見えないのだけど、どの角度から見ても文字盤とのコントラストが付き、立体的なインデックスには影も付いて、ぱっと見てさっと針の位置を読み取る事ができる。

こんな腕時計でもデザインは奥深いものだと思った。

カメラマンには腕時計が必要。なぜ? 何が良い?

最近は保育園の撮影が多いのだけど、この仕事に腕時計はつくづく便利だと思う。

時間の流れというものは(現代社会においては)天体の運行のごとく揺るぎなく均一であるという認識はあるものの、撮影に夢中になっていてるとつい時が経つのを忘れ、その効果はあたかも龍宮城に招待された浦島太郎の如く貴重な撮影時間を浪費させてしまう。
ハイテク社会の現代でも時間は、主観的には決して標準化はされていない。

保育園では他のクラスでも同時進行で色々なことをしてるので、ペース配分を乱さず全てのクラスで良い写真を撮ってゆくために現在時刻の確認は欠かせない。その際、一瞬で時刻を知ることが出来、残り時間も把握しやすいアナログ表示の腕時計は竜宮城的保育園内において大変便利な道具なのである。

付ける時計は見やすければそれこそ何でも良いとは思うけど、もしこれから買うのなら風防(前面のガラス)は樹脂製が良いと思う。
保育士さんのする腕時計の割合はどこに行ってもG-Shockが多い。これは気がするだけではなくちゃんと数えた。その他の時計でも殆どの人がいわゆるチープカシオ等、やはりプラスティック製のものを付けて、これは多分保育園で万が一時計のガラスが割れたら嫌だからだと思う。

私は最近まで手持ちの普通の前面がガラスの腕時計を付けていたのだけど、先日その時計の針が取れてしまい、修理するほどのモノでもなかったので、この際と思い、新しくアクリル風防の腕時計を買った。(カメラマンならカメラのレンズという大きなガラスを何枚も持ってウロウロしている訳だけど、それはそれである)

このソーラー時計「H062-005」は風防だけでなくガワもプラスティク製で見た目は率直に言って安っぽい。NATOタイプのベルトはナイロン製で輪をかけて安っぽい。でも、その佇まいを含めて気に入った。特に、数字の12と6のフォントが少しだけ大きいという毒が入っているところが良い。

アローカナの青い卵

道端で青い卵が売っていた。6個で250円はちっと高いかなとも思ったけど、珍しいので買ってみた。写真は別に加工されたものではなく、この卵は本当にこのような色をしている。(奥にある白いのは普通の鶏卵で比較のために置いた)

味はやや濃くて美味しいと思ったけど、でも率直に言って鶏卵の範疇。

葉牡丹は育ついつまでも

去年の冬から庭の花壇を縁取っていた小型の葉牡丹のうちの一つが、秋になっても枯れないで茎を伸ばしている。
調べてみた所この植物はアブラナ科の多年草だそうで、どうもこのまま育ち下手をするとこの枝の先にまた結球を作るらしい。

なかなか好奇心をソソられる未来だけど、でもこの場所でそんな事されたら恐怖の人食いキャベツみたいになる事は想像に難くない。

東トツカーの謎

JR東海道線は東戸塚駅に降り立つと、駅構内の放送が2回繰り返して東戸塚をアナウンスするのが聞こえた。それは国鉄時代の駅員さんのように「ヒガシトツカー、ヒガシトツカー」と語尾を伸ばしていた。

昔は全部その場で人がやっていたので、人の癖と言うのもあるとは思う。しかし昨今の定形アナウンスは自動で録音された音声を流している。という事は、この語尾を伸ばす言い方はあえてそうされているという事になる。
しかし、都内ではこういうのはあまり聴いたことがない。電車の中の車内放送(これも自動)でさえ、「次は東戸塚」と普通に言っていた。なぜ駅のホームにかかるアナウンスだけ語尾を伸ばすのだろう?

昔を思い出してみると語尾を伸ばしている人は多かった気がする。と言うか、駅員さんも車掌さんも、語尾に限らず変な発音をしている人が多かった。
一例として、私が昔アルバイトに通っていた「大岡山」、カタカナで表現すると「オーオカヤマ」と、普通に読むと長音のオーにオカヤマが続くこの大岡山を、東急大井町線の車掌さんは人によってまちまちにアナウンスしていた。例えばこんな感じ

「カヤマ、カヤマ」(先頭のオは一つも聞こえず)
「オカヤマオカヤマ」(すごい早口で続けて発音)
「オーカヤマ、オーカヤマ」(オが一つ足りない)
「オッ、オーオカヤマー、オッ、オーオカヤマー」(オが一つ多い)

勿論「オーオカヤマ」と発音する人もいたけれど少数派で、その声を聴くとこの人は新人なのかな? と思ったりした。