雨の中の足湯

ここは、日の出市に有る温泉、瀬音の湯の足湯。仕事の合間を縫って土砂降りの中行ってきた。

足湯の良いところは、温泉よりも長い時間入っていられる所だ。都合小一時間入っていた。
ここのお湯はとても濃くて、足だけ入っていてもその効果は抜群に感じられる。
座っているとだんだん元気になってきて、色々仕事のアイディアが浮かんで来るし、家に帰ってからもあれしなくちゃこれもしたいという感じにどんどん仕事をこなせてしまう(気がする)

この施設は秋川の本当に縁に建てられていて、渓谷の断崖絶壁の縁に遊歩道が有って散歩ができるようになっている。
歩いてゆくと見える橋が2本有り、一本は屋台のアイスクリーム屋さんの有る対岸の道、もう一本は欲言えばこぢんまりとした昔ながらのバンガローの有るキャンプ場に通じている。どちらも「だから何だ」という感じの橋だった。

夏が終わる

昔聴いた「夏が終わる」という歌の歌詞の中に「謎のような人の裏切り 白い鎧戸が閉じられる」という一節があって、それがいつまで経っても忘れられない。

人の一生を季節にたとえると、夏は大切な時期だ。その大切な時期には自分がしたいことを自分の責任でするのが良いと思う。何をしてても時は過ぎてしまう。

人のために尽くすのは、一般的に行ってそれは良いことだと思う。ただ、それは相手が本当に喜ぶ時に限り、その範囲に限る。
人を支配しようとしても、人の支配に甘んじても、良くないのはそれが言い訳になってしまうことだ。自分の人生の責任は自分自身で取らなければいけない。

プレシジョンスポーツは良く走る(中古だけど)

これは娘が高校の時通学用に買ったアサヒプレシジョンスポーツ。もう要らないと言うので頂いた。

古いモデルで、「クロスバイク」という言葉がマウンテンバイクと街乗りのクロスという意味が色濃かった時代のデザインは三角断面のダウンチューブに強くスラントした太いトップチューブと、今見るとちょっと古典的。昔のマウンテンバイクの雰囲気だ。

しかしまあ、これが良く走る。ペダルに体重をかけるとそのエネルギーは直ちに前進するスビートに変換され加速度で脳内に喜びの電撃が走る。この感覚はまるで初めて翼を得た深海魚のそれだ。

ただ、ちょっと困った事が有って、元々ついていたサドルがどうも具合が悪い。クッションが厚くてお尻を衝撃から守ってくれるのはいいのだけど、それがちょっと厚すぎて長時間乗っているとお尻以外の所が痛くなってくるのだ。

なので、Amazonでサドルだけ買た。
これはイイ。これが有ればこれでどこまでも走れる気がする。

それで喜んで取り付けて走ってたら、突然ガクっとサドルの角度が変わってしまった。結構家から遠くまで来てしまったのに。整備用の道具を持ってこなかった事を後悔した。
とは言え座れない自転車でも走る事は走るので、何とかなった。

世界を支配するリズムの終焉

小学生の頃友達から大発見といって教えて貰ったのは、「どんぐりころころ」と「水戸黄門」の歌詞は入れ替え可能であるという事だった。彼は歌った。

「どーんぐり こーろーこーろー どーんぐーりーこー くじけりゃ だれかが さきにゆく」「人生 楽ありゃ 苦もあるさー お池に 嵌って さあ大変」

本当だ! 何ということだ!
しかも、思い出してみると「飛んでったバナナ」も「小鳥はとっても歌が好き」も「もしもし亀よ」も、歌詞の大部分を入れ替える事ができる。知らなかった。世界はなぜかこの法則下に置かれている!

これは七五調と言われる、7+5、3+4+5、4+3+5のような音節の組み合わせで構成される日本語のリズムで、先に上げた歌詞の場合音節を数えると8+5になるのだけど、分類としては七五調とされているらしい。

そして、もともとは和歌のリズムであった七五調は一時期楽曲にも多用されていて、よく見られるのは軍歌、子供向けの動揺なのだけど、歌謡曲にも例はある。そしてそれらの多くは、歌詞を入れ替え可能だ。
例えば、チェッカーズのギザギザハートの子守唄は軍艦マーチの曲にのせて「ちぃちゃな頃から ワールガッキでー」と歌えてしまう。

少し前の歌謡曲界隈の人は、この七五調からの脱却を試みて苦労したと、ググったら書かれていたページが有った。そしてここ最近は少なくなったと思う。思い当たるのはきゃりーぱみゅぱみゅ位か。

寝る前に思いついたことを朝思い出すと恥ずかしい

夜寝る前、それこそベッドに入り眠りに落ちる前、頭の中には色々な考えが浮かんでくる。
別に考えているわけではないのに自動的に、まるで夢を見ているようで、時には自分で自分にインタビューして、それに対して自分で「うーん、そうですね」とか答えていて、お前は一体誰だ? と自分でも思う。

昨日の夜はっと気が付いたのは「辛いものを食べること、さらに、辛い料理の唐辛子の量が美味しく楽しんで食べる量を超える事、これは創造的行為ではないか?」というものだった。
単なる楽しみを超えて、追求のさらなる高みに向かい辛い道を進む事(からいではなくてつらいと読んでください)は、芸術を追求する姿勢に他ならない!

そして朝。何でこんな事で興奮していたのだろう? と思う。お腹も痛いし。

勘違いと思い込み

蒸し暑い朝の事、家の外から、ディーゼルエンジンのようなカラカラという音が聞こえていた。
実はその音の出どころは隣の家のエアコンの室外機で、故障でもしているのだろうか、それが結構大きな音がしているのだ。

でも私ははじめのうち、その音が室外機のものだとは分からなかった。
分からなかったと言うと不正確で、より正確に言えば、マツダのディーゼルエンジンのアイドリングの音だと思っていた。
昨日の夜、隣の家に親戚がそのマツダの車で来て、今朝になって出かける前に車のエンジンをかけてクーラーで車内を冷やしているのだろうと思っていたのだ。
我ながら随分ディテールまで設定された想像だと思う。

しかし、何時間経ってもその車は出発しなかった。(当然だ)
流石に何だろうと思ってチラッとは外を見るのだけど、でも頭にはその「マツダのディーゼル車に乗ってやって来たお隣のご親戚」というストーリーが出来上がってしまっているので、ああその人は車のエンジンを掛けたことを忘れているんだろうな、それで今朝ごはんを食べているんだろうな。ご飯を食べると前にしていた事忘れるよな。とか頭の中で勝手に話を長くしていた。

思い込みと言うのは本当に有害だと思う。

写真が選出されて嬉しかったりした

私の写真が下記リンクの「YSS月間審査員賞 2022年6月」に選出された。
大変名誉なことである。

https://note.com/yousawscenes/n/n40709c14c6f4

実の所私は写真コンテストには結構応募しているのだけど、滅多に入選しない。それだけにウチではこの選出は大ニュースなのである。
奥さんなぞ大変喜んでこのページのリンクを実家の親に送りつけていた。

因みに選ばれたのはこの写真。

しかしこの写真は一体、何なのでしょう?
この点選評にも「語弊を恐れず言うなら、見る人によっては「つまらない写真」に映るかもしれません」と書かれている。それを読んだ奥さんも、その通りね! と強く同意していた。そこだけ読まないで欲しい。

マンデリンの味

生まれて初めて、コーヒー豆を買ってみた。自家焙煎の豆を客が自分で選んで買う専門店で。

店がそこにある事自体は前から知っていた。自宅から自転車に乗って浅川沿いを日野方面に向かうといつもその店は見えていた。見えるだけに留まらず、焙煎の甘い香りを漂わせる日もあった。

いつかここでコーヒーを買おうと思いながらその店の前を通り過ぎる3年の間、買わない事に全く理由は無かったし買うお金が無かったわけでもなかった。つまりいつ買っても良かった訳だけど、逆にそういう恵まれた環境ではあまり行動は起きないものだ。

しかし、きっかけというのも突然にやってくる。今回のそれは多分、その日IKEAでまたまコーヒーミルを見たのが主な要因なのではないかと思う。

そのコーヒーミルは買ったのではなく見ただけである。大体ウチではあらかじめ挽いてあるコーヒーを買ってきて利用しているので、コーヒーミルは使わない。だから別に関係ない筈だ。
しかしただコーヒーミルを見るだけで、そしてほんのちょっと、コーヒーミルの有る生活を思い描いただけで(しかもそれは粉挽いた後の掃除は面倒くさいな、買うのやーめた、と考えただけだったのに) コーヒーを買ってしまうというのは、我ながら影響受けすぎだと思う。

肝心の味はと言うと自分ははっきり言ってコーヒーの味は分からない。なので、このちょっとお高めのコーヒーも飲んだときには特段美味しいとは思わなかった。むしろ普通のコーヒーだと思った。
でも、次の日の朝にいつも飲んでいるブレンドコーヒーを飲んだら、普段は何とも思わないその味の欠点が分かってしまう気がした。マンデリンは味がはっきりしているので、舌に教科書のように働くのだと思う。

なんとなく秩父に行ってきた

奥さんと一泊旅行で秩父に行ってきた。
いきなりのこの写真は浦山ダムの中の展示にあった犬。この、こて絵のような彫刻はなんかパースがおかしいような気もする。しかし前から見るとちゃんとした犬の形に見えるらしい。

浦山ダムは、大抵のダムでは立入禁止になっているダムの横についている階段を登ることが出来る。素晴らしい。興味本位で登ってみた。
最初は入ってはイケナイ場所に入っているようでドキドキした。しかし登る途中で、そのドキドキは長い階段を登ることによる肉体的負荷が原因であることに気づいた。
奥さんははるか上のダム頂上から手を振って、階段を登る私を応援してくれた。上についたら、上から見ると私の髪の毛が薄い事が良く見えたと教えてくれた。

モロモロ豆乳のスープ

昔読んだ小説の中に、登録飲料の話が出てきたのを何となく思い出す。
調査員の報告書という体を取り、国民は一定の年齢に達したら市販のソフトドリンクの中から好きなものを一本選び、それを自分の飲料として国に登録する事が義務付けられている事が報告されるという、何ともけったいな話だつた。
でもそれを読んだ時何となく解る気がした。自分も子供の時、初めて飲む缶ジュースがとっても美味しくて気に入ったら「これボク専用!」とか思ってたからだ。
味と言うのは、人の深い深い所で分かちがたく個人に結びついているような気がする。誰でも心の底に、僕の味私の味が有るのではなかろうか?

写真は昼食に食べたシェントウジャンというスープで、温めた豆乳に酢を加えて固まった所を食べる。固まりかけの茶碗蒸しのような食感に濃厚な豆乳の味がして、大変美味しい。ボク専用!

読んだレシピには味付けザーサイを入れると有ったので入れた。すると、調味料の味が溶け出し、まるでレストランのような味になった。
レストランと言っても頭にファミリーと付くレストラン味だけど。