1980年台って一体何だったのだろう?

これは横浜市神奈川公会堂のホールのドアの一部。何ともレトロなデザインだ。

これは小ホール入り口の受付窓口。コンクリートを粘土細工のように直接整形して機能を実現している。こういうデザインは最近見なくなったと思う。ここはWikipediaを見ると1978年会館だそうで、道理でレトロな印象を受ける訳だ。
しかしこの、古いという感じの正体は一体何だろう? 流行と飽きなのだろうか? これは考えてみると不思議な感覚だと思う。

娘の話によれば一部の人たちの間で今、1980年代の音楽やファッションが流行っているそうで娘もまるで昔のアイドルみたいな髪型と服装で出かけたりしている。私にしてみれば’80はまだ大昔という感じはしないと言えばしないのだけど、でも彼女たちにしてみれば生まれる前だ。体の中にその当時の感覚は無くて、見るものは目新しい未知の情報なのだろう。

Youtubeには’80年代の雰囲気を再現した動画が散見され、見ると案外よく出来ていて楽しい。
その中でもジンジャールートのPVは傑作で、手書きのテロップとか映像管の残像で光が長く伸びる映像が再現されていて本当に手が込んでいると思う。

箱根ビジターセンターの駐車場は無料

家族旅行で箱根に行ってきた。今回はあまり日にちが取れないので、じゃあたまには観光地に行ってみましょうかという話になったので。

正月から3連休にかけての日という事もあり、どこも大変混雑しているようで、その様子は道々道路の込み具合で分かった。しかし、ビジターセンターはご覧の通りすいていた。
この場所は芦ノ湖にも通じるちょっとした散策路の中にあり、ロープウェイの駅へも徒歩数分という好立地でありながら駐車場は無料という所がいい。建物もトイレも綺麗だし、それに何より暖房の効いた館内からこの眺めが楽しめるのは素敵だ。観光地にありがちなのぼりも、市町村が作る施設にありがちな壁に無秩序に張り付けられたサインも無く、心穏やかに過ごせる場所だった。

奥さんもここを随分気に入ったようで「やー、箱根がこんなに良いところだとは思わなかったわ。実家にいたときは箱根と言えば豪華な観光旅行しかしたことがなかったから」と言っていた。

独占企業も時代の流れには勝てない

ここは利根川は千葉県は下木の北側の川縁。
ここには江戸時代の昔から明示の初期まで河岸があり、水運に関す権利料の徴収で地元は栄えたそうだ。この近所には蔵を資料館にした「吉岡まちかど博物館」があり、この地の歴史の一端を見ることが出来る。

もともと資料館となっている蔵を所有していたのは吉岡家で、当時は幕府による許可の元遊覧を中心とした旅客業務を独占的に行っていたそうだ。

それが明治になって衰退した直接の原因は、川に高い堤防が出来たからだと職員の人から聞いた。それで、自分でその川を見に行ったのだけど、確かに物流にこの堤防は不便かもしれないが人間が観光に行き来する妨げになるほどのものとは思えなかった。現に今でも東京の屋形船は堤防越しに乗り降りしている訳だし。
水運の物流拠点としてのこの辺りの価値が、鉄道や道路網の整備によって全体的に下がり、地域経済が停滞し、それでこの辺りで贅沢な遊びをする人がいなくなったという事なのかもしれない。

今まで栄えてきた場所が時代の流れによって廃れるというのは仕方のないことだ。
でも、これからの将来の計画に今現在の需要を過度に重視するのは危険だと思う。今日本ではインバウンド需要を見込んで投資がされているようだけど大丈夫なのかなと、この河原を見ながら少々心配な心持ちになった。

自分のいる場所が自分で分かる事

始めて行く場所には独特の感覚があり、何を見ても新鮮に感じる。
この感覚はどの位続くのだろうかと思う。
例えば私は八王子も引っ越して来て5年になるのだけど、もう近所の大抵の場所に行っても馴染みの場所と感じる。でも、引っ越してきた当初はどこにいても、それこそ自分の家にいても自分は旅人のように思えた。

マウスの場合、特定の場所と連動して活性化する脳の場所が有る事が分かっているようだ。それには「場所細胞」という名前がついている。

人間にも似た仕組みは有るのではないかと思う。とすると、実際の物理的に自分の普段いる場所というのも人の脳を実際文字通りの意味で形作っているものであり、なので人にとって場所というものは相当大切なものなのではないかと思ったりする。

そしてこれは人から聞いた話なのだけど、家を新築したら同居していた親が自分の家にいることが分からなくなってしまい、折に触れて帰りましょう帰りましょうと言うようになってしまったというのを聞いた事がある。それは本人にとってはきっと辛い感覚なのだろう。

西八王子は住みやすい街らしい

朝、奥さんの実家からLine電話がかかってきた。ニュースで、西八王子が日本で一番住みやすい街に選ばれたと読んだとの事。

疑問である。
大体、「西八王子」はJRの駅の名前であり、市の名前でも町の名前でもない。西八王子が最寄り駅という意味なら、駅からバスで20分のウチも西八王子となってしまう(だからグランマもウチに電話を掛けてきたのだ)

とは言え、ウチから一応徒歩圏内にはコンビニとドラッグストアとスーパーマケットと出張所と郵便局は有り、住みにくくは無いと思う。
さらに、近所には新しくスーパーマーケットとドラッグストアが建築中であり、八王子市幹線 43号もどんどん建設が進み、畑や桑畑も次々に住宅に変わって新築住宅が出来ていて、私達が住み始めた5年前に比べると、まあ発展してるようではある。

でも、徒歩圏内と言えばウチから徒歩圏内の、地元の人が勝手に作っている事で有名な流れ橋はこんな感じです。

三鷹跨線橋

ここははJR三鷹駅から線路沿いに少し歩いたところにある、操車場を跨ぐ三鷹跨線橋。
良い眺めである。

この橋は地元の人には人気のある場所のようで、この日にも子連れ、明らかな電車好き、犬の散歩、カメラを持った人にタバコを吸いに来たちょっとアウトローな人と、結構な人出だった。
特に夕方の時刻になると、富士山見物に多くの人が集まった。
実は私もここが好きで、三鷹に来る機会がある度に来る場所だった。

場所とは、ここまで来る道のりの体験であり、空気であり、音であり、其処にいる他の人々であったりする。ここが無くなるという事はその全てが無くなるという事で、結構寂しいものだ。

東トツカーの謎

JR東海道線は東戸塚駅に降り立つと、駅構内の放送が2回繰り返して東戸塚をアナウンスするのが聞こえた。それは国鉄時代の駅員さんのように「ヒガシトツカー、ヒガシトツカー」と語尾を伸ばしていた。

昔は全部その場で人がやっていたので、人の癖と言うのもあるとは思う。しかし昨今の定形アナウンスは自動で録音された音声を流している。という事は、この語尾を伸ばす言い方はあえてそうされているという事になる。
しかし、都内ではこういうのはあまり聴いたことがない。電車の中の車内放送(これも自動)でさえ、「次は東戸塚」と普通に言っていた。なぜ駅のホームにかかるアナウンスだけ語尾を伸ばすのだろう?

昔を思い出してみると語尾を伸ばしている人は多かった気がする。と言うか、駅員さんも車掌さんも、語尾に限らず変な発音をしている人が多かった。
一例として、私が昔アルバイトに通っていた「大岡山」、カタカナで表現すると「オーオカヤマ」と、普通に読むと長音のオーにオカヤマが続くこの大岡山を、東急大井町線の車掌さんは人によってまちまちにアナウンスしていた。例えばこんな感じ

「カヤマ、カヤマ」(先頭のオは一つも聞こえず)
「オカヤマオカヤマ」(すごい早口で続けて発音)
「オーカヤマ、オーカヤマ」(オが一つ足りない)
「オッ、オーオカヤマー、オッ、オーオカヤマー」(オが一つ多い)

勿論「オーオカヤマ」と発音する人もいたけれど少数派で、その声を聴くとこの人は新人なのかな? と思ったりした。

雨の中の足湯

ここは、日の出市に有る温泉、瀬音の湯の足湯。仕事の合間を縫って土砂降りの中行ってきた。

足湯の良いところは、温泉よりも長い時間入っていられる所だ。都合小一時間入っていた。
ここのお湯はとても濃くて、足だけ入っていてもその効果は抜群に感じられる。
座っているとだんだん元気になってきて、色々仕事のアイディアが浮かんで来るし、家に帰ってからもあれしなくちゃこれもしたいという感じにどんどん仕事をこなせてしまう(気がする)

この施設は秋川の本当に縁に建てられていて、渓谷の断崖絶壁の縁に遊歩道が有って散歩ができるようになっている。
歩いてゆくと見える橋が2本有り、一本は屋台のアイスクリーム屋さんの有る対岸の道、もう一本は欲言えばこぢんまりとした昔ながらのバンガローの有るキャンプ場に通じている。どちらも「だから何だ」という感じの橋だった。

なんとなく秩父に行ってきた

奥さんと一泊旅行で秩父に行ってきた。
いきなりのこの写真は浦山ダムの中の展示にあった犬。この、こて絵のような彫刻はなんかパースがおかしいような気もする。しかし前から見るとちゃんとした犬の形に見えるらしい。

浦山ダムは、大抵のダムでは立入禁止になっているダムの横についている階段を登ることが出来る。素晴らしい。興味本位で登ってみた。
最初は入ってはイケナイ場所に入っているようでドキドキした。しかし登る途中で、そのドキドキは長い階段を登ることによる肉体的負荷が原因であることに気づいた。
奥さんははるか上のダム頂上から手を振って、階段を登る私を応援してくれた。上についたら、上から見ると私の髪の毛が薄い事が良く見えたと教えてくれた。

ポンペイ展に行ってきた

東京国立博物館で開催されているポンペイ展に行ってきた。ポンペイと言えば火山灰に埋まった犠牲者の形を写し取った石膏像が有名だが、それは会場にも一点展示されていた。その他主な展示は絵画や石像、ブロンズ像、また装飾品や日用品等。

人は同じようなものについては差を鋭く認識するが、逆に違うものについては自分の知っているものと同じ所を認識する癖がある。なので、古代ローマ時代の商業的に栄えていた都市と今の自分達の生活が全く同じだと感じるのは多分に錯覚だと思う。しかし、ひと目見て用途が解り、そして今でもそのまま使えそうな位綺麗な発掘物の展示を見ていると、縄文式土器を見るよりむしろ親近感を覚えた。
例えば、下の写真の地面に有るのは猛犬注意の図案で、実際に当時のポンペイで使われていたマークだ。何と、犬はちゃんと首輪で繋がれている。

自分が子供の頃、ポンペイでは噴火の予兆が有ったにもかかわらず人々は逃げず、噴火の日にはみな死んでしまった。みたいな話を散々聞いた気がする。しかし、実際に犠牲になったのは住民の一割位で他はちゃんと避難していたらしい。