ばらの花について

こういうのどこに書いたら良いのか迷う。結局自分のブログに書くことにした。

車の中に置きっぱなしにされていた音楽用USBメモリー(娘のだ) を、持参の音楽も聴き飽きたので差して聴いていた。そうしたらその中に一曲くるりのばらの花のライブが入っていた。ご存じの方も多いと思うがこれは不思議な歌だ。以下は知っている方向け。

歌詞の並びは時系列順ではないのではないかと思う。理由は、ジンジャーエールは冒頭で飲んで味を知っているから。故に、冒頭の部分はそれ以降に歌われる内容と時を前後している。そしてその後の歌詞についても、ブロック毎に時は前後しているはずだ。

そして、突然挿入されるサビの「旅に出よう」は心中という事なのではないか? そう考えると歌詞の全ての筋が通るような気がする。ジンジャーエールは薬を飲み下す為に買われたものでそれは飲み物なら別に何でも良かったわけだがしかし、いざ飲んでみると味が妙に気になる。そして心中に失敗して一人残った男は後日、歌の冒頭でまたジンジャーエール(だけ)飲んでいる。

今日も会えないやと歌われているが当然だ。相手はすでに死んでいる。

しかし、この曲に対するこのような感想はググっても出てこなかった。ありがちな見立てだと思うのだけど、自殺とか心中と言った単語を文中に含めると検索順位が極端に下がるのかもしれない。

最終的な結論はいつも経済

Quoraに、すべての概念を含む上位の概念は有るか、みたいな質問が寄せられていた。これは言い換えれば、一言で世界のすべてを表すことが出来るか、という問いになる、面白い質問だと思う。概念というのは集合に付けた名前の事だから、すべての概念を含む集合を作れば実現可能だろう。そして多分、それに近い言葉はすでに有るのではないかとも思う。(日本語だと、事態を諦めてその全てを受け入れる時に発する、やれやれ、みたいな。世界の全てはやれやれで表すことが出来る)

似たような事で、話をしているとどうも回り回ってそこに行き着く、という物事も有って、それについてもそれが世界のすべてを表しているような気がする。

ウチの奥さんと、スーパーのサッカー台に置いてあるビニール袋は何枚まで持っていっても良いのかという話をしていたのだけど、あのビニールを持ってゆくのはいかなる注意書きがされていようが客の権利だ、と、要約するとそのように言われた。お惣菜コーナーに有るサービス品の醤油やソースについても、例えば一つの揚げ物について10個のソースを取ったとしてその人の権利だ。空気や常識によって人を縛るな。と、(要約すれば)そのようなご意見。これは、どちらかと言うとみんな仲良く共産主義の自分からすると受け入れがたい意見である。

しかし、話し合ってゆくと最終的な結論はいつも、あんたの稼ぎが悪いからよ。に、行き着く。誰だって稼ぎがあれば醤油やソースは自分で買うしビニールだって自分で買う。人は貧乏だから無料の品を貪欲に取るのよ。との事。

悔しいがこれは真実で、人は文字通り食足りれば礼儀も知るのだ。結局、一言で述べれば世界は経済だ。

新しい朝が来た

朝が来るというのは自転する惑星上に住む自意識を持つ生物の単なる主観に過ぎない。「明けない夜は無い」という言葉を聞くと、いつのどこの誰について? と、つい思ってしまう。

しかしこういう事を人前で述べると顰蹙を買うので、最近は言わないようにしている。人も50を過ぎると空気を読むという事を覚えるのだ。

だがしかし、自分の思う事とは違う事を、自分を裏切りつつしかも自分発という体裁で発信し続ける事は自我に悪影響を与える行為だと思う。バランスを取る為には、どこかで、自分が好き勝手に自分である事が出来る活動が必要なはずだ。

年賀状って、昔の人にとっては自分の創造性を遠慮なく発揮して人に見せつける事の出来る自己表現の機会になっていたんだろう。そして今はSNSがその役目を果たしているのかもしれない。

ブドウは美味しいよ

写真はウチの庭で育てているブドウ。品種はマスカットベリーAで、まだ熟してはいないが色づいた一粒はそろそろ摘んで食べることが出来る。

これは以前住んでいたアパートのベランダで、鉢に植えて育てていた木だ。鉢植えの時は狭いベランダでも十分育てられる大きさだった。

それを地植えにしたのは一昨年の事だ。次の年「もしかして、伸びてもいいのですか?」と言う感じに枝が伸びた。地植えだと枝も伸びるようになるのだなぁと思った。

所が今年はもう当然の権利のように伸び放題、庭もブドウのジャングル状態。これは困った、こんなんなるなら冬が来たら木を切ってしまおうと考えた。

でも、一粒食べるとまあ美味しくて、やっぱり考えを変えた。ジャングルも許そうと思った。

八百屋に売っているフルーツはコンパクトにまとまった出来上がりの状態だ。そして、出来上がりだけ頂くというのは気楽なもので、それだけ見ているとそれがどのようにして成り立っているのか忘れがちだ。